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2004/08/17

涙腺(映画:アルジェの戦い)

涙腺というもの,小生の歳になるといささか頼りないところがありまして,どうも最近,緩い.
映画なんて見ていると特にそうで,おまけに最近はそういう映画を(「たそがれ清兵衛」なんて典型ですね)好んで見るもんだから大変です.
このごろは映画を見ては泣く(「ラスト・サムライ」とか),歌を聴いては泣く(森山直太郎の「さくら」とか),歌舞伎を見ては泣く(近松ものを玉三郎がやったりすると泣いちゃう),娘と一緒に「初めてのおつかい」を見ては(娘はこれが好きです)泣いちゃう.下手するとCMで69年頃のポップス(「夢のカリフォルニア」なんて効きますね)がかかると,それだけで泣いちゃう.

映画を見て初めて泣いたのは,「アルジェの戦い」という映画だったと思います.
この映画は1967年のイタリア・アルジェリア合作映画,アカデミー賞監督賞・脚本賞・外国語映画賞とヴェネチア国際映画祭金獅子賞を総なめにした傑作,音楽はマカロニウェスタンで一世を風靡したエンニオ・モリコーネ.
内容はフランスからの独立を戦い取ったアルジェリア人民の戦いを描いたもので,37年前のアメリカ人はこれをテロリスト映画とは思わなかったようですね.むしろフランス帝国主義よりは自分はアルジェリア人民に近いと思っていたんじゃないだろうか?

主人公は対フランスゲリラ闘争を戦うアリ,刑事犯として刑務所に入っていた彼は,ゲリラに対する処刑を目にして独立のために戦う決意をし,出獄後独立闘争に参加,映画では駆け出しだった彼が次第に国民的英雄になっていく姿が描かれる.
カスバを舞台とするゲリラ戦,街角の屋台のおばさんから子供が銃を受け取ってフランス人警官を撃ち殺し逃走するといった激しい戦い.フランス軍は精強パラシュート部隊を投入し,手段を選ばない弾圧に出る.
アリは仲間の自白によって追いつめられ,彼らが潜むカスバの住居にはフランス軍の手で爆薬が仕掛けられる.最後の投降勧告を無視して闇の中で堅く抱き合うアリたち,ついに隠れ家は爆破される.
それでいったんは収まったかに見えたアルジェリア独立闘争は,数年後突然再開される,しかも新しい形で.この時はゲリラ闘争ではなく大衆が蜂起したのだった.フランス軍の戦列に向かって何千何万という市民が行進する.フランス軍が「君たちの要求を言い給え」と呼びかける.しかし市民は何も要求せずにただ行進を続ける.
このシーンで映画は終わったという記憶があります.

このあたりの記憶は曖昧なことが多いのですが,まず小生はこの映画をどこで見たのか?
記憶によればこの(今から見れば)過激な映画はTVで放映されたのです.それを小生は友人と一緒に飲み屋(その店は某先輩によれば今も健在らしい)で見たような気がする.

店もたまらんかったでしょうな.映画見ている間客の注文はかなり活発を欠いたでしょうから.更に小生はこの映画の最後で泣いてしまい,それをその場にいた(当方が一方的に好きだった)女性に見られてしまったような記憶がある.その記憶のために小生はこの映画を「初めて泣いた映画」として覚えているのです.

この映画を見たのは,たぶん32年前の夏だと思います.32年という時間は短くはありません.その間に世の中は民族解放闘争が正義とされた時代から(例えテロでも民族解放闘争が正義であること自体は誰も否定しなかった),アメリカとイスラエルの武力行使以外はすべてテロとされる時代になってしまいました.
自分は革命を起こす年代から革命で打倒される年代になりました.
涙腺は止めどなく緩くなってきています.

人生がこのようになると言う予感はなくはなかったけれど,世の中がこうなるという予感はありませんでした.
世の中は悪くなっている.映画もしかり.晩年の淀川長治はアメリカ映画の堕落を嘆き,「ギルバート・グレイプ」「妹の恋人」あたりを評価した以外は「アメリカ映画が宇宙のバケモノや大統領殺しでゼニもうけに目を光らせている」と嘆いていた.
悪い世の中にはよい映画が少ない.ではよい映画を作れば世の中は良くなるでしょうか?できればそうなって欲しいものだと思います.
(2004年6月29日(火))


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