武蔵野会
父の古いアルバムに「武蔵野会」と記入された写真が幾枚かある.
いずれもセピア色の写真で,料亭らしきところで背広を着た男達が大勢こちらを見ている.
差しつ差されつ飲んでいるスナップもあれば,仲居さんも交えて,床の間を背に集合写真になっているものもある.チョッキを着ている男もいる.太いズボン.オールバックの髪型.
時は1950年代から60年代,父たち高度成長期の猛烈サラリーマンが一番元気なときだったろうか.肩を組み,丸い眼鏡を光らせて口を開けて笑っている男達.12月頃の写真では,お約束の三角帽子(ケーキとぺらぺらの紙の三角帽子がこの当時のクリスマスパーティーの定番だった)を一同でかぶっているものもある.
子供の時に見た父のこのての飲み会の写真は他にもいろいろあるが,「武蔵野会」の名前だけを覚えているのは名称が子供にも理解できたからである.僕は杉並区に住んでいて隣は武蔵野市,この界隈に住んでいるおじさん達なのだろうと簡単に推測することができた.
その写真に出ている男達はどうなったのだろう?
父はその後えらくなったのか,あるいはこういう大勢の飲み会はその後流行らなくなったのか,こういう猛烈で楽しげな飲み会の写真は以降あまり見かけない.アルバムの写真がカラーになった頃には,「武蔵野会」の写真はもう見あたらなかった.
父が亡くなって7年経つが,父のこういう若くて猛烈な時代の姿や声は,今では記憶から甦らせることができない.僕がいつも思い出すのは亡くなる前寝たきりになった父の姿や声で,元気に活躍していた頃の思い出は,その記憶に邪魔されてうまく出てこないのだ.
「武蔵野会」の頃の父は,猛烈に働きながらも,その若さのためか時代の雰囲気なのか,突き抜けるような楽天性が古い写真からもうかがえる.その写真に不思議な懐かしさを感じるのは,自分もその「武蔵野会」の頃の父の年代からは,すでに遙かに年を取ってしまったせいかもしれない.
(2004年8月25日(水))
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