灰色のノート
高村薫の「レディ・ジョーカー」をこの前ようやく読み終えましたが(図書館で空きがなかったもので),その中で登場人物が青春時代に読んだ本を30代半ばで読み直すものの例に「チボー家の人々」が出ていました.
あまりの懐かしさに「レディ・ジョーカー」と交換に図書館で「チボー家の人々」を借り出し,32年ぶりに「灰色のノート」を読み始めたわけです.
ロジェ・マルタン・デュ・ガール(R.M.G)によるこの小説は,ご承知の通り第1次大戦開始前のヨーロッパを舞台にした大河小説で,R.M.Gはこれを書くのに1920年から19年かかり,訳者山内義雄はこれを訳すのに1938年から14年間かかったという大作です.その中の頂点をなす「1914年夏」がノーベル文学賞を得たことで有名です.
ところでこの小説は僕には大変馴染みの深いもので,少年版「チボー家の人々」と副題の付いた「チボー家のジャック」を中学1年で読んで以来,高2で白水社の全巻を読み終えるまで,僕はこの小説に夢中でした.
僕がこの小説に夢中になったのはこの小説が「次男の小説」だと思っていたからです.ジャックはエスタブリッシュたるチボー氏の次男,年の離れた長男アントワーヌは既に青年医師です.
「灰色のノート」は「チボー家の人々」の第1章にあたり,この中に登場する15才のジャックに僕は自分を投影していたのだと思います.仕事に夢中で話の通じない父や,話は通じるけれど自分よりは遙かに洗練されているように見える兄と,強情で気持を表現するのが下手で鬱屈した思いを持て余していた自分を,この「灰色のノート」はまさに表現していたように思えました.
チボー家の次男として父親に反抗し自分なりの表現を求め,社会主義運動に身を投じ遂には第1次大戦勃発時に反戦ビラをまいてその生涯を終えたジャックは,実に大きな影響を自分に与えたような気がします.
今もう一度「チボー家の人々」を読むと,相変わらずジャックの気持は良く理解できますが,同時に父親たるチボー氏の気持に同感できるのが(16才の時には考えられもしなかった!)不思議ですね.
この夏「チボー家の人々」を(もう一度)読破するのが楽しみです.
(2000年6月22日(木))
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