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2005/01/29

独断的映画感想文:A

日記:2005年1月某日
映画「」を見る。
1996年から97年にかけてのオウム破防法裁判の行方とサティアンの撤退、その渦中にある荒木広報部長を追うドキュメント。
荒木始め残ったメンバーは皆誠実で真摯な宗教家、に見える。
どう言えばいいか、連合赤軍壊滅後の赤軍派スポークスマンと言ったところか。
彼等には非合法性や暴力性はほとんど残っていない(理論にはしっかり残っているにしてもだ)が、弾圧は極めて執拗であくどい。それに曝される彼等には同情してしまう。
しかし彼等の組織は、少なくともその「軍」は無差別殺人、計画的殺人、拉致誘拐死体損壊等、あらゆる悪事を冷酷にやってのけたのだ。そのことを彼等は想像もできない恐ろしいことと考えているのか、それとも本心ではよくぞやったりと快哉を叫んでいるのか?
それにしても修行三昧の生活を安心して送れる組織としてオウムが絶大な支持を受けていること自体は、強く印象づけられる。
ところでこのドキュメンタリーを見てこれらのことが次から次へと頭に浮かんで来るのは、このカメラのスタンスが適切だからだろう。カメラは荒木に密着してその行動を追い、ある時は彼の独白を見つめ、ある時は彼に質問して答えを引き出し、少なくとも彼から見たオウムは何だったかを描こうとしている。その立場は決してオウム寄りでもなければ権力寄りでもない.
オウムの闇は測り難く深いが、この映画の印象は暗くない。少なくとも上佑某とTVレポーターののぼせ上がったやりとりの状況とは比べものにならない。
★★★(★5個が満点)


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