独断的映画感想文:アイ,ロボット
日記:2005年2月某日
映画「アイ,ロボット」を見る.
2004年.監督:アレックス・プロヤス.
ウィル・スミス,ブリジット・モイナハン.
この映画は以前にも書いたが「我はロボット」の映画化と称している.
「我はロボット」はアイザック・アシモフ作のSF最高傑作の一つで,しかも書かれたのは1940年代,内容は論理的かつ心理的,時には哲学的なものを備えている.
映画もこうした内容に触れていない訳ではないのだが,結局マッチョなウィル・スミスのアクション映画というハリウッドものでしかない内容になってしまった.
映画ってのはこうしないと作れないものだろうか?
ロボット心理学者スーザン・キャルヴィン役のブリジット・モイナハンにも失望,表情が数種類しかないしアクションも中途半端.
映画の中でシカゴのミシガン湖は干上がり,巨大な吊り橋の廃墟が見えるのだが,これは何か核戦争的なものを暗示しているのだろうか?その辺も全然説明不足.
それにしても原作であれば,何故ロボット工学3原則があるのにロボットはこういう行動を取るのか?というのが最大のミステリになるのに,この映画ではそういうように作ったからというのが正解なので(言ってもうた),なにをか言わんやである.スーザン・キャルビンがいる意味がない.
それと,ロボットのすり替えネタはおよそSF的でない.制御コンピュータをだませるわけがないではないか?まさか制御コンピュータはロボットを顔で識別しているわけではあるまいに.
原作を,しかし,ではどうやって映画にしたものか?
★★(★5個が満点)
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