独断的映画感想文:珈琲時光
日記:2005年6月某日
映画「珈琲時光」を見る.
2003年.監督:ホウ・シャオシェン.
一青窈,浅野忠信.
この映画は小津安二郎生誕100周年映画.しかし何故この監督が?という疑問は残る.
台湾から帰った陽子は、古書店店主の肇と会う.探していた台湾の音楽家のCDを受け取るためだ.
陽子はこの台湾の音楽家の資料を探し続けるが,それが何故なのかは分からない.
一方陽子は群馬の実家に帰った折,母に妊娠中であることを告げる.結婚はしない自分で生んで育てるという陽子,しかしそれが何故なのかは分からない.
陽子は鬼子母神の自宅から都電に乗り,山手線に乗り換えて秋葉原や神保町に出る.
映画はその電車のシーンを執拗に追う.高崎線や下仁田線,京浜東北や東急線も登場,特にお茶の水から秋葉原を望む,総武線・中央線が8の字に交差しその下を丸ノ内線が抜けていく望遠のシーンは,美しい.また肇が乗ってる京浜東北線と併走する山手線に陽子が乗っているシーンも,よく撮ったなーと思う.
しかしこの映画の意味するところは何なのか.
映画らしいシーンへのこだわりは感じられるが,結局何なのさというのが終わった後の感想.
サイトを探すと,実は陽子はフリーライターだとか,両親は早くに離婚,目の不自由な親戚に育てられた,今の母は後添えだとか書いてあるが,そんなことは映画を見てもちっとも分かりません.
実の母が家出をしたというのも映画終了の15分前くらいに分かることで,それが物語として広がることもありません.
この映画はふつうのサラリーマンやOLとは違う人たちが出てくるが,その人たちが何故そういうことをしているのか,どういう人なのかは説明しない.妊娠しちゃったという事実は早くに分かるが,それが物語として展開することもない.
題名に惹かれて見た映画だが,それこそどうしたらいいのだろうか,途方に暮れる映画.
★★(★5個が満点)
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