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2006年6月に作成された記事

2006/06/26

独断的映画感想文:空中庭園

日記:2006年6月某日
映画「空中庭園」を見る.
2005年.監督:豊田利晃.
小泉今日子,鈴木杏,板尾創路,広田雅裕,大楠道代,ソニン.
マンションのバルコニーに美しい庭園を造っている京橋絵里子,京橋家では家族は一切隠し事をしないというルールがある.
高校生のマナ,中学生のコウ,夫の貴史とにこやかに暮らす絵里子.
しかし絵里子と貴史はもう5年も交渉はなく,貴史は浮気をしまくっている.マナは実は不登校で友人のモッキーとラブホテルに行ったりしている.コウも日中から街をうろつき,家ではコンピュータゲームに没頭する.
絵里子の秘密は,不幸な生い立ちだった自分が如何に計画的にこの家族を作ってきたかと言うことだ.母親のさっちゃんは,肺ガンで入院中だが,この母と絵里子の関係も複雑である.
隠し事なく明るく暮らすという建前と裏腹に,この家庭はストレスに満ちあふれた家族が,仮面で暮らす場であり,その建前さえある事件をきっかけに崩壊しようとしていた….
この映画は家族の死と再生の物語である.結局家族はそれほど手ひどい崩壊に至るわけでもないし,最終局面で,再生の兆しが暗示される.
小泉今日子の怖さ,板尾創路のおかしさ,大楠道代の味が印象的.
カメラはやたら回転したり,ブランコの様に揺れたり,不安定な画面を提供するが,これはお好みによるだろう.
でもこれだけの役者を揃えて,もうひと味何かあっても良いんじゃないだろうか,という消化不良感が残る.
絵里子の「不幸な生い立ち」の内容も今ひとつ判らないし(だいたい父親って出てこないのは何故か).
いまいちの映画.★★★(★5個が満点)
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2006/06/25

独断的映画感想文:テイキング・ライブス

日記:2006年6月某日
映画「テイキング・ライブス」を見る.
2004年.監督:D.J.カルーソー.
アンジェリーナ・ジョリー,イーサン・ホーク,キーファー・サザーランド.
連続殺人を解決するため派遣されたFBIの美人プロファイラ.彼女は目撃者コスタのプロファイリングから活動を開始する….
この映画はキャスティングが失敗ではないか.
誰が見たって,警察側でない存在として出てきたイーサン・ホークを見れば,こいつが犯人だと思うだろう.
そのイーサンを見て,彼は犯人じゃないとプロファイルするアンジェリーナを見ると,展開はもう判ってしまうような気がする.
最後のどんでん返しは面白かったし,アンジェリーナ・ジョリーは美しかった.映像的にも緊張感あるテンポの良い映画だったと思うが,この欠陥が気になりますよね.
★★★(★5個が満点)
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独断的映画感想文:エリザベスタウン

日記:2006年6月某日
映画「エリザベス・タウン」を見る.
2005年.監督:キャメロン・クロウ.
オーランド・ブルーム,キルステン・ダンスト,スーザン・サランドン.
スニーカーデザイナーのドリューは,新製品でおおこけし会社をクビになり,恋人にも捨てられる.
おりしもカリフォルニアの母から連絡があって,故郷のケンタッキーを訪問中の父が急死したという.ドリューは父の遺骸を引き取りにケンタッキーに向かう.
その途中で乗った飛行機はがら空き,ドリューはアテンダントのクレアと知り合う.突然訪れた休暇の様な日々,親戚の人々と話すうちに父の人となりを改めて知るドリュー,一方陽気でお節介なクレアが彼の周辺をうろつく様になる….
何となく最後まで見たけど,何と言うことはない映画.
スーザン.サランドンの終盤での演技はさすがにうまかったけど,日本人の感覚としてはああいうパフォーマンスってついて行けない.
キルステン・ダンストは可愛かったけど,オーランド・ブルーム演ずる主人公と合うかしらって考えちゃう.
映画はそのまま,たいした感動もなくあらあらという感じで終わってしまいました.暇な方はどうぞって感じでしょうか.
★★☆(★5個が満点)
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2006/06/11

独断的映画感想文:ハリー・ポッターと炎のゴブレット

日記:2006年6月某日
映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を見る.
2005年.監督:マイク・ニューウェル.
ダニエル・ラドクリフ,ルパート・グリント,エマ・ワトソン.
ハリー・ポッターのシリーズ第4作.ホグワーツ魔法学校の4年生14歳になったハリー達,新学期にダンブルドア校長が,世界3大魔法学校の対抗戦が,ホグワーツを会場に開かれると発表する.
各校の代表は,志願したものの中から「炎のゴブレット」が選出するのだが,その炎のゴブレットが資格もなく志願もしていないハリーを選出したことから,ホグワーツは大騒ぎ.殆どの生徒が,ハリーは何か不正をしてこの栄誉を手に入れたと考える中,結局正規の代表3名とハリーが,対抗戦を戦うことになる.
その課題はドラゴンとの決闘を初めとする命がけの3つの課題だった….
物語はこの対抗戦の模様と,ハリーが選ばれた謎を巡って展開する.
今回の目玉はハリー達3人が思春期を迎え,またその友情が試される物語の状況だろう.
対抗戦の渦中開催されるダンス・パーティーに,女の子が苦手でダンス嫌いのハリーとロンは,完全に出遅れる.一方,ハーマイオーニーは対抗校のエース,クラムとあでやかなダンスを披露して,2人をやきもきさせる.この辺が面白い.
ハリーには相変わらず闇の帝王ウォルデモート卿の魔の手が伸びるが,正直言ってこちらの物語展開は,原作を読まず前の結末を忘れてしまう僕にとっては殆ど理解できないしどうでも良いことだ(ポッタリアンの皆さんご免なさい).毎回,へーと言いながら見ているだけ.
それよりは魔法の世界とハリー達の成長が面白い.映画は2時間半と長いが,相変わらず面白く最後まであっという間でした.
ところで,レイフ・ファインズ,ゲイリー・オールドマンが出ていたらしいのだが,二人とも素顔をさらしていないので判明できず.もったいないことである.
★★★☆(★5個が満点)
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独断的映画感想文:ALWAYS 三丁目の夕日

日記:2006年6月某日
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見る.
2005年.監督:山崎貴.
吉岡秀隆,堤真一,小雪,堀北真希,薬師丸ひろ子,須賀健太.
この映画には偏見を持っていた.
その理由は日本アカデミー賞を独占したからである.その他にもいくらでも良い映画,良い演技はあったであろうに,あれほどの独占を果たし,この映画以外にはこの年何も作られなかった様な結果を残すとは.
我が家では,この結果は主催TV局の陰謀だということになっている.従って西岸良平の原作は好きだったが,この映画には偏見が入ってしまったのだった.
それはさておき,物語は昭和33年,集団就職で上野に着いた六子は鈴木オートの社長に連れられ,建設中の東京タワーに程近い夕陽商店街にやってくる.
鈴木オートは予想と違いぼろぼろの町工場だったが,優しい奥さんがいた.
向いの駄菓子屋には,売れない作家で最近は子供向きの小説を書いている茶川竜之介がいて,なじみの飲み屋のママから押しつけられた孤児の古行淳之介をかかえて弱っている.
この2家族を中心に展開される30年代の東京,TV,冷蔵庫,洗濯機がやってきて誰もが明日はもっと豊かになると信じていた時代の話….
30年代を描き,子供を主題にし,貧乏人を扱えば,この種のほのぼの映画は成功すると言っていい.この映画はあくまでもメルヘンとして見るべきだろう.
実際は30年代にはまだ子供は病気でよく死んでいた.小児マヒの蔓延は忘れることができない.CGには描かれないが,道路はあんなにすべすべでなくて穴ぼこだらけだった.もっと野良犬はいっぱいいて,草っぱらで寝たりしたら,確実に犬のうんこを踏んだ筈だ.
そんなことを思い出しながら見たこの映画だが,正直見た後は偏見を忘れた.なかなか良くできた映画である.
一番良かったのは子役の須賀健太君,台詞はともかく,泣くのをこらえながら幾度も幾度も首を振って竜之介を見上げるあの必死の顔つきには,泣かされた.
他には薬師丸ひろ子も良かった.優しい顔ながら,短気な社長が逆上するのを,たった一言で鎮めるドスのきいた声は,絶品である.
総じてよくまとまった映画,★★★☆(★5個が満点).
しかし日本アカデミー賞独占はやはり無理,あれはやっぱり陰謀だったのではあるまいか.
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2006/06/06

独断的映画感想文:ランド・オブ・プレンティ

日記:2006年6月某日
映画「ランド・オブ・プレンティ」を見る.
2004年.監督:ヴィム・ヴェンダース.
ミシェル・ウィリアムズ,ジョン・ディール,ウェンデル・ピアース.
9/11から2年後のロス・アンジェルス,この街で監視活動を続けるポールはベトナム帰還兵.
彼はアメリカに攻撃をしかけるテロリストと対決する為,嘗ての部下と組んで車にビデオ機材や集音マイクを積み込み,L.A.を巡回しているのだ.
妄想に支配されているとしか思えない彼の行動だが,彼にしてみればブッシュの言うことを真に受けているに過ぎない.
同じ時,ラナは2年住んだパレスチナを離れ,L.A.に降り立つ.彼女は母を亡くし,牧師の父と別れて伯父ポールの住むL.A.にやってきたのだ.幼いとき別れたポールと再会し,母の手紙をポールに届けるのが,彼女の目的だ.
教会の伝道所でボランティアをしながら伯父を捜すラナ,一方ポールは街頭で見かけたアラブ人を(不審なのはターバンを巻いて箱を持っているというただそれだけのことだ)追跡していた.
このアラブ人ハッサン・アフメッドが突然襲われ殺された事件で,ラナとポールは再会する.二人はハッサンの身許を確かめに旅に出ることになる….
9/11の傷跡を温かい眼で追ったドラマ.
この映画では,何と言ってもポールとラナの取り合わせが絶妙である.
アメリカを一人で背負い守っているつもりのポール,一方アメリカで生まれながら育ったのはアフリカだというラナは,子供のように無心である.
情報通を自認してプロ同士の情報収集を続けるポール,しかしその偏見の入ったネットワークにはろくな情報が入ってこない.一方ラナは,あっさり警察を訪れ,教会のネットワークを使い,簡単にハッサンの実兄を捜し当ててしまう.
ポールはハッサンの死をテロリスト同士の内輪もめかと疑っていたのだが,ハッサンの実兄が極めて紳士的な好人物であることを知り,またハッサンを襲ったのが白人のホームレス狩りの若者だと知って,次第に自分の行動に自信を失っていくようだ.
ラナはポールに,パレスチナでは9/11のアタックを庶民が歓声を上げて喜んだことを語り,9/11の犠牲者達が,殺人をもってする復讐を望んでいるだろうかと問う.
映画の最後でグラウンド・ゼロを覗き込む二人.ポールは想像していたのと違って,ただの建設現場にしか見えないと言い,ラナは,黙って死者の言葉に耳を傾けようと言う.
エンドタイトルと共に流れる「この豊饒の地(ランド・オブ・プレンティ)に,真実の光が射しますように」という歌のリフレインが印象的である.
ポールはベトナム帰りの右翼だが,しかしその真摯さは,ラナという触媒を通じて,新たなアメリカの理解に彼を導くようだ.二人の最後の姿に,微かな9/11後のアメリカの希望を,見いだすことができるように思える.
そしてそれは,スーツを着てネクタイを締めた人々,テロとの戦いを叫ぶ人々,9/11後の経済の回復を訴えるだけの人々には,決して見いだせないものではないだろうか.
この監督の「パリ・テキサス」では,ライ・クーダーのスライド・ギターの音楽が圧倒的な魅力だったが,この映画でも冒頭から流れる押さえたバラード調の歌が素晴らしい.地味だが素晴らしい映画.
★★★★(★5個が満点)
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2006/06/04

独断的映画感想文:ウォーク・ザ・ライン/君につづく道

日記:2006年6月某日
映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」を見る.
2005年.監督ジェームズ・マンゴールド.
ホアキン・フェニックス,リース・ウィザースプーン.
音楽映画にはいつもハードルが低い.この映画には更にハードルが低くなる理由が幾つかある.
その1,カーター・ファミリーという名前への親近感.主人公ジューンのバンドカーター・ファミリーは,いわゆるカーター・ファミリー・ピッキングで昔から日本でも有名である.親指でベースラインあるいはメロディを弾き,人差し指でストロークを弾くのがカーター・ファミリー・ピッキング,ジューンはこのファミリー・バンドのオリジナルメンバーの第2世代にあたる.
その2,ジョニー・キャッシュといえば大スターである.映像としては1974年の刑事コロンボで,妻殺しの犯人役を演じたくらいしか見た覚えはないが(旅先の筈なのに,殺人に使うための車のキーを持っていたのが,空港の金属探知器で引っかかったのだ),音楽的には聞き覚えのある曲がいっぱいある.その二人が結ばれるまでの長い長い物語って,それだけで胸が躍るではありませんか.
物語が始まるのは1944年,既にジューン・カーターはファミリー・バンドの一員としてラジオで活躍している.それに耳を傾ける兄弟,兄のジャックは優等生,弟のジョニーは歌がうまい.しかしジャックはその年,製材所の事故で命を落とす.
父親はこのとき,「悪魔はできる子の方を奪った」と叫び,これがジョニーのトラウマとなる.
兵役後ジョニーは売れないセールスマンを務めながらメンフィスでバンドを組み,1954年,自作の歌を歌ってレコーディング・スタジオのオーディションに合格し,翌年レコード・デビュー.この後,彼らはヒット曲を連発,そのツアーでジョニーはジューン・カーターと運命の出会いを果たす.しかしスターダムにのし上がったジョニーは,酒と女,薬に蝕まれていくのだった….
物語はこの状態のキャッシュが,当局の摘発を受けどん底に落ち込んでから,如何に立ち直ってジューンとのゴールインを目指していくかを(それは1968年のことだ),ドキュメント風に語っていく.
印象的だったのは,メンフィスでのオーディションのシーン.
バンドは唯一の持ち歌のゴスペルをぎごちなく歌う.スタジオの担当者が途中で遮って,そんな歌はみんなが歌うしゴスペルは売れない,と言う.
「事故にあって後1時間で死ぬ.その時,最後に歌う歌は何だ?君がこの世で生きたことを,ただ1曲で,皆に伝えたい,そういう歌はないのか?」
レコーディング・スタジオの1職員がこういうことを言うのだ.しかもそれに対してジョニーが言う.「軍にいたとき作った曲があるんだが…」
スタジオの担当者も担当者だが,ジョニーもジョニーなのだ.このやりとりはなかなかにスリリング.
その後ロックスターとして順風満帆なようで,ジョニーの胸には大きな穴が空いている.家庭を守る妻ヴィヴィアンは極めて常識的な女性,一方ツアーの同行にはあの憧れのジューンがいるのだ.いつしかジューンに恋いこがれるジョニー,その胸の苦しさ.ジューンに愛を告白しつつ,しかしそれが成就することはない.
そしてジョニーは薬で破滅する.
その破滅したジョニーを世話するジューン.彼女は親族と共にジョニーの山荘に滞在し,彼の看護をする.親族はライフルで売人を追い払うことまでするのだ.献身的とはこういうことを言うのだろう.
そして映画のクライマックスは,1968年オンタリオでのコンサート.このときの出来事には涙を禁じ得ない.
映画を通して印象的なのは,ジョニーとジューンの純愛と言っていいような深い友情・愛情と,アメリカン・ロックの奥の深い魅力である.
映画で流れる歌の歌詞1つ1つに共感を覚える.こんな素晴らしいロックを生み出す国が,どうして嘘をついてまで他国に攻め入るのか.映画はこのジョニーの苦悩と栄光を描いて満足度高し,エンドタイトルのバックに流れる本人達のデュエット曲以外は,ホアキン・フェニックス,リース・ウィザースプーンが歌っているというのも素晴らしい.
★★★★(★5個が満点)
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独断的映画感想文:キングコング

日記:2006年6月某日
映画「キングコング」を見る.
2005年.監督:ピーター・ジャクソン.
ナオミ・ワッツ,ジャック・ブラック,エイドリアン・ブロディ.
1930年代のN.Y.,禁酒法下不況が街を覆い,人々は娯楽に飢えている.
映画監督カ-ルは,かってない冒険映画を撮ろうとスポンサーを騙り脚本家をだまし,街でスカウトした女優アンを連れて貨物船をチャーター,髑髏島を目指す.
その島は想像を絶する世界だった….
ということでお馴染み1933年制作の「キングコング」のリメイク,3時間の大作で「ロード・オブ・ザ・リング」のスタッフのCGは圧倒的な迫力.
この映画の魅力はキングコングの人間性(といえば良いんでしょうかね)と,アンとの愛情の交流につきる.
この異様な生物のひしめく髑髏島に君臨してきたキングコング.彼の巣には,別のコングの白骨もある.彼にはかって家族もいたのだ.
その系統の最後の生き残りであるキングコング.コングが美しいアンに従来の生け贄とは違う興味を示していく様子,コングにアンがボードビルで鍛えた芸を見せコングがそれに魅せられていく様子,島の頂からコングとアンが無言で夕暮れの光景を見詰めるシーンが,印象的である.
特に最終局面,コングとアンのN.Y.での再会から,エンパイアステートビルでの最後の別れまで,お互いを見つめ合う両者の表情は,ただごとではない.
この世にたった一人生き残ってきたコングの,美しいアンへの思いが,その最後の表情に凝縮して現れている.
映画は前半やや冗長で,監督カールの描写に時間を取りすぎではないかと思うし,島の生物と人間との死闘はくどすぎる(特に虫さんは個人的にはイヤですね)と思うが,結果的には3時間はあっという間であった.
ナオミ・ワッツの美しさに敬礼.
★★★☆(★5個が満点)
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2006/06/01

独断的映画感想文:名もなきアフリカの地で

日記:2006年5月某日
映画「名もなきアフリカの地で」を見る.
2001年.監督:カロリーヌ・リンク.
ユリアーネ・ケーラー,メラーブ・ニニッゼ,レア・クルカ,カロリーネ・エケルツ,シデーデ・オンユーロ.
ユダヤ人の弁護士ヴァルターは,ナチの迫害を身近に感じ,アフリカに渡って新天地に妻子を呼び寄せようとする.
ホテルを経営する両親,兄弟は事態は改善するかも知れないと考え,その時点ではまだ国外脱出を考えない.
物語はヴァルターの妻子がドイツを発ち,アフリカはナイロビに到着するところから始まる.
一家を待っていた生活はしかし,貧しいものだった.ドイツ語の弁護士としての仕事はなく,イギリス人の経営する農場の住み込みの管理者と言う仕事をこなす.英語のできないヴァルターは,オーナーの指示さえ料理人の現地人オアウに訳してもらう始末,オーナーも亡命ユダヤ人への反感を隠さない.
弁護士の妻として都会暮らしをしていたイェッテルは,思いもかけない生活の変化と,手紙でもたらされるドイツでの状況の悪化に,混乱を隠せない.
娘のレギーナは彼女を「小さなメンサブ(女主人)」と呼ぶオアウとすぐに仲良しになり,現地の子供たちとも仲良しになって,アフリカに溶けこんだ生活を始める.
やがてドイツでの状況は更に悪化,彼らの親族は国外脱出もできず,ゲットーに送られるという連絡が来る.一方ヴァルターは開戦と同時に敵国人としてイギリス軍に抑留される.
やがて反ナチのユダヤ人であるという主張が認められて一家は別の農場に職を得ると共に,ヴァルターはイギリス軍のためにナイロビに出て軍務につくことになった….
戦乱のヨーロッパを離れ,ケニアを舞台に展開されるユダヤ人一家とアフリカとの物語.子役を演じるレア・クルカ(幼年時代),カロリーネ・エケルツ(少女時代)の二人がいずれもかわいらしい.
僕たちの知らないところで,ユダヤ人はまたこの様な歴史を重ねていたのだ.
夫妻の愛情と葛藤の変遷,そしてすくすくと成長していくレギーナの力強さが印象的な映画だった.
ユリアーネ・ケーラーはこの映画でユダヤ人を演じた後,何と2004年に「ヒトラー ~最期の12日間~」ではエヴァ・ブラウンを演じているのだ.これには吃驚仰天,同じ役者がこれほど正反対の立場を演じるとは.
★★★☆(★5個が満点)
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