独断的映画感想文:天国と地獄
日記:2006年7月某日
映画「天国と地獄」を見る.
1963年.監督:黒澤明.
三船敏郎,香川京子,仲代達也,木村功,加藤武,三橋達也,山崎努.
権堂金吾は大会社の常務,会社は重役間の争いで揺れている.
権堂は乾坤一擲,私財のすべてをかけて自分の会社の株を買い取る交渉をまとめ上げた.腹心の部下に小切手を持たせ,株式買収に立たせようとしたとき,誘拐犯から子供を誘拐したとの電話が入る.
ところが実際に誘拐されたのは,住み込みの運転手の息子だった.しかし誘拐犯はそれでも権堂に同額の身代金を払えと言う.払わなければ子供の命はない,と.
権堂は逡巡の挙げ句,身代金の支払いを決断する….
この後は有名な特急こだま号上の身代金受け渡し,捜査陣と犯人の息詰まる攻防へと続く.
原作はエド・マクベインの推理小説だが,映画の迫力は素晴らしい.
やや長尺だが,特に前半の身代金受け渡しまでは息もつかせぬ緊張感溢れる展開.後半も捜査の網が徐々に絞られていく過程のテンポは,快調である.一見の価値あり.
この映画を見て最も印象深かったのは,映画表現におけるヒューマニズムについてである.
黒澤明自身は言うまでもなくヒューマニズムの人であるが,この映画ではまず権堂金吾という凄い名前の重役が,会社の株買い占めという果断な作業のまっただ中で,他人の息子の身代金を払って破産するという道を選択する.
これは今時の,官民あげて弱肉強食を勧める世相では,考えられないヒューマニズムと言えよう.こんな人の良い経営者ではとても会社を任せられないから,さっさと破産でもしてもらおうというのが,今日の市場の判断ではあるまいか.
一方犯人もヒューマニズムの人である.
この犯人は3人もの殺害を行う凶悪な人間だが,誘拐した子供は無事に帰す.
この子供の目撃証言が結局命取りになるのだが,今時の世相では子供を殺すことをためらう凶悪犯は考えにくい.そういう意味では,何となくひと時代前の,ロシア文学的な人間像を持つ犯人である.
逆に言えば,今時の世相は,この映画が公開された四十数年前と比べ,何という地点まで来てしまったのだろうか.
蛇足その1.犯人山崎努のサングラス姿は,極めて印象的.この頃,山崎は良くこういうスタイルの犯人役を,ドラマでも演じていた様な記憶がある.
蛇足その2.ヤク中女菅井キンのシミーズ姿を見てしまった.
★★★★(★5個が満点)
人気blogランキングへ
コメント
>一方犯人もヒューマニズムの人である.
この犯人は3人もの殺害を行う凶悪な人間だが,誘拐した子供は無事に帰す.
これは、映画の中でも刑事がプロファイリングしてましたが
ヒューマニズムから子供を返したわけではありません。
(共犯2人と実験台の女1人はあっさり殺してます)
もう一度見てみてください。
投稿: たろう | 2006/10/06 14:13
それから権堂も単純なヒューマニストではありません。
映画冒頭で西部劇ごっこをしていた自分の子供への
台詞に注目。
投稿: たろう | 2006/10/06 14:26
たろうさん,コメントありがとうございました.
世の中に「単純なヒューマニスト」などという人はいないと思います.
僕も「権堂のあの行為におけるヒューマニズム」を取り上げたつもりです.権堂がヒューマニストだと言ったつもりはありませんでした.
犯人も子供を殺そうと思えば殺せたのです.しかし殺さなかった.また,犯人が殺した男女はいずれもヤク中で,少なくとも犯人から見て生きていても意味のない人と見えたのです.その辺を「ひと時代前の,ロシア文学的な人間像」といったつもりでした.
投稿: ほんやら堂 | 2006/10/06 22:23