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2006年10月に作成された記事

2006/10/24

独断的映画感想文:シンシナティ・キッド

日記:2006年10月某日
映画「シンシナティ・キッド」を見る.
1965年.監督:ノーマン・ジュイソン.主題歌:レイ・チャールス.
スティーヴ・マックィーン,アン・マーグレット,エドワード・G・ロビンソン,カール・マルデン,チューズデイ・ウェルド.
この映画も公開後40年以上経って初めて見るもの.但しレイ・チャールスの歌う映画のテーマは,映画公開時から好きだった.
聞いているだけで身体が熱くなるような,パンチの効いたレイのヴォーカルが,中学の僕には堪らなく魅力的だった.
ニュー・オーリンズの街で売り出し中のギャンブラー,シンシナティ・キッド.街に名うてのギャンブラー,ザ・マンことランシー・ハワードがやってくる.土地のギャンブラーやギャンブル好きの人々の思惑の中,二人は遂にホテルの一室で,何時終わるとも知れない勝負をすることになる….
筋立てはごく単純,これに恋人のクリスチャン,ディーラーのシューター,その妻のメルバが絡むくらいだが,とにかく二人のギャンブラーの白熱の勝負がすべて.何をしてもかっこいいスティーヴ・マックィーンの魅力を,ひたすら楽しむ映画でもある.
結末はたった一枚のカードにかかってくるわけだが,しかるべき結末と言うほかない.
★★★☆(★5個が満点)
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独断的映画感想文:ブロークバック・マウンテン

日記:2006年10月某日
映画「ブロークバック・マウンテン」を見る.
2005年.監督:アン・リー.
ヒース・レジャー,ジェイク・ギレンホール,ミシェル・ウィリアムズ,アン・ハサウェイ.
ワイオミングのブロークバック・マウンテンにある放牧場に2人の若者が雇われる.2人はシーズンの間山の放牧場に野営し,羊をコヨーテから守って管理するのだ.
初対面の2人はやがて互いの身の上を語り合い,次第に友情を深めていく.
シーズンも深まったある夜,山に上がるはずだったイニスは飲み過ぎ毛布をかぶって仮眠するが,夜明け前寒さに耐えかねジャックのいるテントに潜り込む.
それは突然のことだった.二人は突き動かされる情念のままお互いを求め,結ばれる.
翌朝山に登り羊の群れを見るイニス.そこには,コヨーテに襲われ引き裂かれた羊の死体があった….
その後二人はシーズンを終え,ワイオミングとテキサスのそれぞれの家族の元に戻る.それぞれ結婚し子供をもうけ,平和に暮らしていたが,4年経ってジャックがイニスのもとを訪れた.
出会った瞬間に燃え上がる二人の愛,その後年に数回ずつの逢瀬を重ねて二人の愛は深まっていく….
この映画が描くのは,ゲイでもなければ破綻する平凡な家庭でもない.1つの特異な恋愛の一部始終である.
この二人は真性のゲイではないが(平凡な結婚をし子供も作っている),少なくともイニスの方は妻アルマを愛しつつ,それ以上にジャックを愛し続けた.イニスのジャックに対する愛情は真摯なものであり,ジャックへの一途な思い(貞操感と言っても良いか)は,ゲイとか男色とか言う言葉で表現しきれるものではない.
ジャックはそれに比べ,イニス以外の男性にも,妻以外の女性にも手を出す男である.しかしイニスに対する愛情が独特のもので,極めて深いものであることは,疑い得ない.
そしてそのことは,二人が結ばれたブロークバック・マウンテンの美しく荒々しい自然と,そこでの二人の経験とに,固く結びついたものと思われる.
監督はこの恋愛劇を真正面から描いており,観客は時にその描写に大きな違和感を持つだろう.
しかしニューヨークならいざ知らず,南部ではゲイのカップルが社会的に蔑まされ,時にはリンチによって虐殺されることもある事が描かれるにつれ,観客はこの恋愛劇と彼らの苦悩を次第に受け入れていくのだ.
イニスが最後に手に入れた心の平安は,思いもかけないものではあったが,それはしみじみとした共感をもたらすものだった.
見て損はなし.
★★★★(★5個が満点)
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2006/10/21

独断的映画感想文:日曜日には鼠を殺せ

日記:2006年10月某日
映画「日曜日には鼠を殺せ」を見る.
1964年.監督:フレッド・ジンネマン.
グレゴリー・ペック,アンソニー・クイン,オマー・シャリフ.
僕は映画少年ではなかった.初めて映画を一人で見たのは14歳ではなかったかと思う.
その代わり僕はラジオ少年だった.病気がちだった子供の頃は昼間のラジオ番組を,元気になった中学生の頃からは深夜のラジオ番組を.
洋楽専門だった僕が聞いていたのは,僅かなポップスを除けば,カンツォーネや映画音楽が多かった.この映画は,その奇妙な題名と共に,その独特なテーマ音楽で記憶に残っている.
モーリス・ジャールのこの作品は2つのテーマからなり,第1のテーマは哀愁に満ちた民謡調のもの.第2のテーマは行進曲風の明るいものだ.そして音楽はこの2つの対照的なテーマを対位法のように組み合わせて展開していく.
このサウンドトラックは長く僕の記憶にとどまっていたが,映画そのものは今日まで見ることが無かった.
スペイン内戦が終了したとき,フランスに亡命した多くの人民戦線兵士の中に,マヌエルがいた.20年が経ち,スペインからマヌエルの戦友の息子,パコがやってくる.父が警察の拷問で死亡したというパコは,警察署長への復讐をマヌエルに頼み込む.
その20年,年に数回はスペインに越境しゲリラを行ってきたマヌエルだが,ここしばらくはそれもせず,無為に日々を送っている.マヌエルはパコの依頼に応じようとはしなかった.
折しも故郷ではマヌエルの母親が重病になる.警察署長は彼女を強制的に病院に収容し,その病状がマヌエルに伝わるよう手配をして,病院のまわりに包囲網をしく.
母親は唯一訪れる神父に「罠があるから来るな」との伝言を託し,息絶える.署長はその死を隠し,密告者カルロスを送ってマヌエルに帰郷を勧めさせる.一方若く誠実な神父は,ルルドへの巡礼の途中マヌエルを訪れ,母親の伝言を渡そうとする….
物語はこの署長とマヌエル,神父の3者を巡るドラマとなって展開し,これにカルロスの正体やパコの活躍がからんで進行していく.
マヌエルは元来荒々しい兵士だったようで,内戦ではファシスト側だった教会の神父(その辺の事情は「蝶の舌」に描かれている)を信用せず,暴力的に母親の言葉の真偽を確かめようとする.政治的には中立を標榜する神父は,地上の法(母の死を口外するなという警察署長の指示)を守るか神の法を守るかという問題に直面するが,マヌエルの手荒な扱いにもかかわらず,亡き母親の依頼を忠実に果たそうとする.
署長は宿敵マヌエル射殺のためには手段を選ばない俗物だが,病気の奥さんには頭があがらない.マヌエルと署長の二人は,共に頑固な宿敵同士として対立しており,人格的な甲乙は映画の上ではつけられていないようだ.
署長が精悍で自信に溢れた顔つきなのに比べ,マヌエルは憔悴した様子.マヌエルは,亡命後20年間の無為な生活に屈託し,また老いを迎えて衰えた自分の力に苦悩しているのだ.
しかしそのマヌエルが,最終局面で母の死を知りつつ故郷に戻ると決断した段階で,憑き物が落ちたように明るい自信に満ちた表情になる.国境近くの酒場の娘を見る目も力に溢れている.その娘に手を振り,国境の山を越えて出かけていくのだ.
モーリス・ジャールのテーマは,そういうマヌエルを象徴しているようにも聞こえる.
映画は決して重苦しくなく,白黒の陰影溢れる映像にもかかわらず雰囲気は明るい.見て損はない映画.
★★★★(★5個が満点)
映画の邦題は原作名に依っているが,原作名は「(安息日である)日曜日に鼠を殺したので(猫は月曜日に吊された)」という意味らしい.本来は日曜日には鼠を殺してはいけなかったという趣旨のようだ.
映画の原題は「蒼ざめた馬を見よ」,黙示録の有名な言葉で,馬は黄泉の使者を表す.こっちが邦題だったらずいぶん雰囲気は変わっていたでしょうね.
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2006/10/16

独断的映画感想文:Vフォー・ヴェンデッタ

日記:2006年10月某日
映画「Vフォー・ヴェンデッタ」を見る.
2005年.監督:ジェームズ・マクティーグ.脚本は「マトリックス」のアンディ/ラリーのウォシャウスキー兄弟.
ナタリー・ポートマン,ヒューゴ・ウィーヴィング,スティーヴン・レイ,ジョン・ハート.
近未来のロンドン,サトラー議長の独裁政権下にあり,秘密警察が幅をきかせる.
夜間外出禁止令を理由に秘密警察に暴行されそうになったイヴィーは,「V」と名乗る仮面の男に救われる.Vは17世紀の革命家ガイ・フォークスにちなんだ11月5日に,政府転覆を謀ろうとしている「テロリスト」だった.
二人は行動を共にするうち,何時しか恋に落ちて….
映画はVが着々と進める政府転覆の計画,Vの正体の秘密,イヴィーの経歴の秘密等を徐々に明らかにしながら11月5日に向かって進んでいく.
Vは最初から最後まで仮面なので,その人となりを推し量ることは難しいのがちょっと不満.一方ナタリー・ポートマンは美しくなかなかの熱演である.
独裁者の描写は通り一遍で余り怖いとも思えない.こんな男がどうして独裁者になれたんだろうと思ってしまう.その政府を転覆するVの活動も余りサスペンスといった感じではない.むしろ三銃士とかいった感じさえする.
しかし映画のテンポが良いので何時しか引き込まれて見てしまう.
Vがこんなに大活躍して政府が転覆されたら,今度はV自身が独裁者になってしまうのではないか,と言う危惧があったが,最終局面にそれは裏切られました.
ロンドン塔目指して静かに,しかし決然と集まって行く人々.その人達が集まってくる仕掛けを作ったのはVなのだが….このあとは見てのお楽しみ.
★★★☆(★5個が満点)
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独断的映画感想文:アンダーワールド2 エボリューション

日記:2006年10月某日
映画「アンダー・ワールド2 エボリューション」を見る.
2006年.監督:レン・ワイズマン.
ケイト・ベッキンセイル,スコット・スピードマン,ビル・ナイ.
前作に引き続くヴァンパイアとライカン(狼族)との争闘の物語.
前作でヴァンパイア一族の戦闘マシーンだったセリーンは,自分の一族を殺したのが長老ビクターであることを知り,ビクターを殺すことでヴァンパイアからも追われる立場となる.同行するたった一人の味方は,ヴァンパイアとライカンの混血となった恋人マイケルのみ.絶望的な危機の中,戦い続ける彼女に希望はあるのか.
ライカンとヴァンパイアの血のつながりの謎を追う彼女は,ヴァンパイア・マーカスの逆襲にマイケルの命を奪われてしまう….
第2作は前作から著しく進歩した(まさにエボリューション)内容となった.
前作では戦闘マシーンとしてのセリーンの描写にほとんどのシーンが割かれていたが,今回はマイケルとのロマンス,ヴァンパイアの絶対的な孤独,差し込んでくる微かな希望という素晴らしいドラマの展開がある.
ヴァンパイアの究極の苦しみは不死ということだ.不死がもたらす孤独ということだ.
マイケルを失ったセリーンの絶望の叫び,最後の対決のために昔自分が生まれ育った古城に忍び入ったセリーンが,数百年前の少女時代に書いた落書きにそっと手を触れるシーン.
こういうエピソードが映画を魅力溢れるものにしている.
ケイト・ベッキンセイルは,アクションも含め実に魅力的.
しかし狼男ってのは,ヴァンパイアに比べると,どうもダサイねえ.
★★★★(★5個が満点)
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2006/10/10

独断的映画感想文:太陽

日記:2006年10月某日
銀座シネパトスで映画「太陽」を見る.
2005年.監督:アレクサンドル・ソクーロフ.
イッセー尾形,桃井かおり,ロバート・ドーソン,佐野史郎.
天皇裕仁の,敗戦直前から人間宣言をするに至るまでの日々を描く.
映画の全編を貫いて感じる高い緊張感は,映画そのものが構成する緊張感もあるが,ドラマ自体の緊張感もあり,そして何より僕自身の天皇に対する緊張感でもある.
昭和天皇その人を正面から描いた映画は,今まで存在しなかった.ソクーロフのこの映画は,その意味だけから言っても重要な作品である.この映画を見る,天皇裕仁と時代を共有したすべての日本人は,必然的に今までに自分の持っていた天皇像と引き比べて,この映画の中の天皇裕仁を見ることになるからだ.
映画では観客は主人公に感情移入し,その立場でドラマを見ていくことが多いが,この映画で観客は天皇裕仁の立場に立つことは極めて困難である.この映画の緊張感はそういうことからも,もたらされるのだろう.
この人はどういう人なのか?この人は何を考えているのか?
映画の進行につれて,その答えは少しずつ示されていく.
国家の全責任を負う立場の,しかし社会と隔絶されて育った,極めて子供っぽい人.きまじめで穏和,しかし自分が国家の全責任を負っているという緊張感から逃れることはできない.
決められた日程は(昼食後の午睡も含めて),敗戦直前地下壕に追い込まれても通常通りに進められる.しかし国民が兵として前線で死闘し,空襲で日々殺されていく中の午睡は,悪夢を見るための時間でしかない.
マッカーサーとの会見は,アメリカのエリート軍人と,子供の感性と最高権力者の経験を持つ天皇との,奇妙な会話の時間だった.
このシーンが現人神(あらひとがみ)としての天皇の矛盾のクライマックスとすれば,人間宣言をして皇后を迎えた最終シーンでは,それまでのすべての緊張から解放された天皇の微笑を見ることになる(このシーンでの桃井かおりの目の芝居は素晴らしい)….
この映画はイッセー尾形なしには成り立たなかった.そのリアルな演技は,例えようがない.イッセー尾形の演技を見るだけで,この映画を見る価値がある.
天皇裕仁のことは,まだまだ知るべきことがあるという気がする.この映画はそういう思いを持つ世代の人にとって,一見の価値ある映画であろう.
作品自体も,その象徴的な映像や抑えた色調が素敵だった.
★★★★(★5個が満点)
蛇足ながら,庭園のシーンで画面中央で声高く鳴き続けた,鶴の「演技」も秀逸.
シネパトスの下を走る地下鉄の音が気になった.
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独断的映画感想文:ロスト・イン・トランスレーション

日記:2006年10月某日
映画「ロスト・イン・トランスレーション」を見る.
2003年.監督:ソフィア・コッポラ.
ビル・マーレイ,スカーレット・ヨハンソン.
落ち目のハリウッド・スター ボブ・ハリスは,サントリーのCMに出るため来日,ホテルに缶詰の日々を過ごす.カメラマンの夫の仕事に同伴して来日したシャーロットは,することもなく無為の日々をホテルで過ごす.何時か顔見知りになった二人は,見知らぬ東京の街に,二人で出かける….
この映画はどう言ったら良いんでしょうね.
ソフィア・コッポラとか東京ロケとか,そういうキーワードなしにはこの映画は見なかっただろう.しかし見て思ったのは,この映画は何故撮られ何故公開されたのかと言うこと.
いいたいことは判らなくはないし,妻や夫とのコミュニケーションの困難さはこっちとしても経験がないではない.心の交流を感じた者同士のぎごちない抱擁は,あり得る結末かも知れない.
しかし延々と展開される毎夜のバー通い,クラブ通いを見せられても,それがヒューマンドラマだとは思えないのだ.この映画は,ソフィア・コッポラが東京で豪遊した経費を落とすための作品ではないかとさえ,疑われる.
日本人を愚弄しているとしか見えないその描き方は(やたらお辞儀をする,意味無く笑う,英語をまともに話さず聞かず-これは映画の主題と関係するので仕方がないか),アメリカ映画の常なので気にすべきとは思わない.
ビル・マーレイは達者だし,スカーレット・ヨハンソンは可愛いが,暇をもてあましている人以外にはおすすめではない.
★(★5個が満点)
それにしても病院受付のシーンで登場した,旧知の某医大病院現役課長ヤマダカズオ氏の怪演ぶりには驚嘆した.お元気そうな様子で何より.
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2006/10/03

独断的映画感想文:耳に残るは君の歌声

日記:2006年10月某日
映画「耳に残るは君の歌声」を見る.
2000年.監督:サリー・ポッター.
クリスティーナ・リッチ,ジョニー・デップ,ケイト・ブランシェット,ジョン・タートゥーロ,ハリー・ディーン・スタントン.
この映画は音楽映画と言って良い.
冒頭流れるのは,主人公の父親が歌うテノールのアリアで,これが映画の邦題である,ビゼーの歌劇「真珠採り」のアリア「耳に残るは君の歌声」である.
只この曲は,メロディとしては日本では「真珠採りのタンゴ」として有名であろう.その点では邦題の付け方はいささか強引だが(原題は「泣いた男」),まあそんなことはどうでも宜しい.
この美しい歌曲にまず心を動かされる.
舞台はロシアの貧しいユダヤ人村,フィゲレ(小鳥)と名付けられた可愛い娘を残し,父親はアメリカに出稼ぎに行く.その直後村は暴徒に襲われ焼き払われる.
アメリカに出稼ぎに行く若者に託され辛くも脱出した主人公は,孤児としてイギリスに上陸,スーザンと名付けられてロンドンで養子に出される.英語が話せず,「ジプシー」とはやされていじめられる毎日,しかしある日故郷の村でも見ていたジプシーの一団が外を通りかかる.
彼らを見送るうち,知らずに口をついて出る故郷の歌,その美しい歌声を認められ,彼女は歌のレッスンを受けるようになる.
成人した彼女は,歌で世に出ようと,フランスに渡りパリで踊り子の世界に入るが,そこで知り合ったローラとルームメイトになり,彼女と共にパールマン・オペラ劇場に出演するようになる.ローラは主役を演じるイタリア人ダンテと恋仲になるが,スーザンは舞台に出る馬を操るジプシー,チェーザーに心惹かれるのだった.
折しもナチスドイツはポーランドに侵攻し,やがて英仏との間に戦端が開かれる….
この怒濤のスケールの物語を,映画は96分で終わらせてしまう.96分でこの2組の男女の恋愛物語を語りきり,更に,スーザンと父親の再会まで描いてしまうのだ.
この点で映画は極めて窮屈でバランスの悪いものになっている.
特に最終局面,2組の男女の物語に決着がついたあとは,どう考えてもエピローグである.スーザンは結局父と巡り会うのだが,その過程で映画はなお新しい局面を幾つか描くのだが,それはどれも中途半端と言わざるを得ない.
それにしても音楽の力は素晴らしい.
映画は,中盤のパリを舞台とする,音楽に満ちた緊張感あるドラマが素晴らしかった.ヴェルディ,プッチーニ,ビゼーのオペラ,ジプシー楽団の哀愁に満ちたメロディが,心に残る.
但し,スーザンの歌声はドラマの中心となるものなのにひどくお粗末.インタビューではクリスチーナ・リッチは「口ぱく」だったと言っているが,このへたくそな歌は吹き替えだったのだろうか.もう少し何とかならなかったかね.
ハリー・ディーン・スタントンはやはり良かった.
惜しい作品.★★★☆(★5個が満点)
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2006/10/01

独断的映画感想文:イン・ハー・シューズ

日記:2006年10月某日
映画「イン・ハー・シューズ」を見る.
2005年.監督:カーティス・ハンソン.
キャメロン・ディアス,トニ・コレット,シャーリー・マクレーン,マーク・フォイアスタイン.
美人でスタイルの良いマギーはお馬鹿で,ナンパしては遊ぶが仕事は長続きしない.姉のローズは有能な弁護士でワーカーホリック,服もシューズも買い込むがそれを着る暇もチャンスもない.
マギーは仕事を首になって姉のもとに居候するが,服も靴も車も姉のを使いたい放題,家は汚すは車は駐車違反で押さえられるは,挙げ句の果てにローズの恋人で上司の男と,姉が残業しているうちに姉の家で出来てしまう.
ショックを受けたローズはマギーを追い出すが,自分も事務所を辞めてしまう.マギーは偶然知ったフロリダの祖母の元に,身を寄せることにする….
実はこの姉妹,母は早くに亡くなり,父は凄い自己中の女と再婚,姉妹は祖母の存在さえ知らずに育った.そういう家庭の事情がこの姉妹の現状に影響している状況が,映画の進行に従って次第に判ってくる.
映画の冒頭で示されるこの姉妹の関係は決して単純なものではなく,只の賢い姉と馬鹿な妹の話ではないのだ.この二人が如何に人生を変えていくのかが映画のテーマで,その結末は観客の胸を温かくする.
ところでマギーの「お馬鹿」は正確に言えば学習障害ということだそうな.
映画の中段で老人ホームの元教授に詩を朗読してあげるマギー.たどたどしく読むが,その解釈はと教授に水を向けられると,なかなか素敵な解釈をよどみなく話す.元教授に「A+!」といわれ,満面の笑みのマギー.このシーンが印象的.
祖母役のシャーリー・マクレーンが期待通り素晴らしい.
キャメロン・ディアスという先入観が良い意味で裏切られる,ほのぼの映画.
★★★☆(★5個が満点)
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