独断的映画感想文:太陽
日記:2006年10月某日
銀座シネパトスで映画「太陽」を見る.
2005年.監督:アレクサンドル・ソクーロフ.
イッセー尾形,桃井かおり,ロバート・ドーソン,佐野史郎.
天皇裕仁の,敗戦直前から人間宣言をするに至るまでの日々を描く.
映画の全編を貫いて感じる高い緊張感は,映画そのものが構成する緊張感もあるが,ドラマ自体の緊張感もあり,そして何より僕自身の天皇に対する緊張感でもある.
昭和天皇その人を正面から描いた映画は,今まで存在しなかった.ソクーロフのこの映画は,その意味だけから言っても重要な作品である.この映画を見る,天皇裕仁と時代を共有したすべての日本人は,必然的に今までに自分の持っていた天皇像と引き比べて,この映画の中の天皇裕仁を見ることになるからだ.
映画では観客は主人公に感情移入し,その立場でドラマを見ていくことが多いが,この映画で観客は天皇裕仁の立場に立つことは極めて困難である.この映画の緊張感はそういうことからも,もたらされるのだろう.
この人はどういう人なのか?この人は何を考えているのか?
映画の進行につれて,その答えは少しずつ示されていく.
国家の全責任を負う立場の,しかし社会と隔絶されて育った,極めて子供っぽい人.きまじめで穏和,しかし自分が国家の全責任を負っているという緊張感から逃れることはできない.
決められた日程は(昼食後の午睡も含めて),敗戦直前地下壕に追い込まれても通常通りに進められる.しかし国民が兵として前線で死闘し,空襲で日々殺されていく中の午睡は,悪夢を見るための時間でしかない.
マッカーサーとの会見は,アメリカのエリート軍人と,子供の感性と最高権力者の経験を持つ天皇との,奇妙な会話の時間だった.
このシーンが現人神(あらひとがみ)としての天皇の矛盾のクライマックスとすれば,人間宣言をして皇后を迎えた最終シーンでは,それまでのすべての緊張から解放された天皇の微笑を見ることになる(このシーンでの桃井かおりの目の芝居は素晴らしい)….
この映画はイッセー尾形なしには成り立たなかった.そのリアルな演技は,例えようがない.イッセー尾形の演技を見るだけで,この映画を見る価値がある.
天皇裕仁のことは,まだまだ知るべきことがあるという気がする.この映画はそういう思いを持つ世代の人にとって,一見の価値ある映画であろう.
作品自体も,その象徴的な映像や抑えた色調が素敵だった.
★★★★(★5個が満点)
蛇足ながら,庭園のシーンで画面中央で声高く鳴き続けた,鶴の「演技」も秀逸.
シネパトスの下を走る地下鉄の音が気になった.
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