独断的映画感想文:硫黄島からの手紙
日記:2007年1月某日
映画「硫黄島からの手紙」を見る.
2006年.監督:クリント・イーストウッド.
原作:栗林忠道(吉田津由子編).脚本:アイリス・ヤマシタ.音楽:クリント・イーストウッド.
渡辺謙,二宮和也,伊原剛志,加瀬亮,中村獅童,裕木奈江.
硫黄島を巡る戦記物の同監督による2部作のうちの日本編.
太平洋戦争末期,制海権制空権を失い孤立した硫黄島に迫る米機動部隊.
大本営は守備隊司令長官に栗林中将を任命する.しかし僅かな守備隊にもかかわらず海軍と陸軍の指揮系統は独立し,かつ栗林の指示に従わないという有様だった.
栗林は地下に縦横に陣地を築き,持久戦を目指すがその真意はなかなか将兵に伝わらない.合理的かつ温情もある栗林の指揮は,慕うものも集めるが,軍の本来にそぐわぬものとして嫌悪するものも多い.
その状態のまま米機動部隊との決戦の日を迎え,硫黄島は砲火に覆われる….
物語は栗林・バロン西等の一群と陸海両軍の頑迷な官僚群との葛藤を,一兵士西郷の目を通して描く.
この物語をクリント・イーストウッドが映画にしたのは幸いだったと思う(もちろん日本人がこれを制作できなかったことは残念だが.そしてそれは現在の日本が相変わらず閉塞的な官僚天国であることと関係していることで,すぐれて現代的な問題ではあるのだが.).
クリント・イーストウッドは前作「ミリオン・ダラー・ベイビー」でもそうだったが,この映画でも絶望的状況下での人間の人間らしさとは何かを描いている.
スリバチ山の守備隊は劣勢に追い込まれるや,栗林の指示に反して全軍自決の命令を発する.一方バロン西の指揮する連隊は,西中佐の指示により奮戦した後,元山の司令部を目指すことになる.
前者では兵は絶望と悲嘆のうちに自死を強制され,後者では負傷した西と別れるに当たり,全兵士は西に敬意を表し勇気を持って司令部への道を切り開くことになる.
同じ困難な状況で,この違いはどういうことか.敬意を払われるべきはどちらか.戦争という究極的な状況で露呈されるこの両者の違いを,どのように考えるべきだろうか.
映画は日本映画と見てもほとんど違和感のないすぐれた出来上がりである.小銃をライフルと呼んだり,菊のご紋のある小銃に足をかけて自死するという,若干の瑕疵はあったが,そんなことは些細なこと.
渡辺謙,二宮和也,伊原剛志が皆良かった.加瀬亮の存在感も素晴らしい.
戦争は避けるべきだし避けられるものと信じたい.しかし相手のあることだから万が一戦争となったときに,勇気と誇りを持って戦うことはどのようにしたら可能なのだろうか.
★★★★☆(★5個が満点)
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コメント
トラックバックありがとうございました。
>敬意を払われるべきはどちらか
そうですよね。そういう合理的視点も含めて、実に良く撮っていると思わせる力作でした。
本作を含めて、昨年からのアメリカ映画は厳しいものが目立ちます。そういうネタを有名監督が手掛けて興行的にも作品面でも評価されている現状と、相も変わらぬ御涙頂戴劇やテレビ番組の「付属品」みたいな作品が幅をきかせる邦画とを見比べると(もちろん、邦画でも良いものは散見されますが)、柄にもなく暗い気持ちになってきます。
それでは、今後ともよろしくお願いします。
投稿: 元・副会長 | 2007/01/14 19:53