日記:2007年2月某日
映画「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホームNo.1」を見る.
2005年.監督:マーティン・スコセッシ.
ボブ・ディラン,ジョーン・バエズ,ピート・シガー,アレン・ギンズバーグ,ミッチ・ミラー,スーズ・ロトロ.
1941年生まれのボブ・ディランが62年にデビューし「風に吹かれて」でブレイクし,プロテストソングのカリスマとなりながらフォークロックに移行していくまでの第1部である.
「フリー・ホィリーン」の表紙でディランとのツーショットを披露している当時の恋人,スーズ・ロトロが画面でインタビューに答えているが,未だ若々しく愛らしい素敵な人だ.
ジョーン・バエズはニューポート・フォーク・フェスティバルでディランをフォークファンに紹介した人だが,そのディランを見る目は恋するものの目だ.
印象的なのは,ディランを認めコロンビアとして契約したのが,あのミッチ・ミラーだということだ.また「風に吹かれて」をヒットさせたLAのプロデューサーは,PP&M(ピーター・ポール&マリー)をユニットとして売り出した辣腕家アルバート・グロスマンだが,この曲の反戦性などは意に介せず,数多くのベテラン歌手に提供して歌わせた.
「この曲はいけると思った.金のにおいがした」と彼自身が述べている.60年代アメリカの若くしたたかで勢いのある状況を,彷彿とさせる.
これに比べれば政府の脅しに震え上がって「イムジン川」を発売禁止にした東芝EMIの音楽業は,児戯に等しいと思える.
映画としては画面はオーソドックス,インタビューと当時のフィルムで丹念にボブ・ディランとその周辺を描いているが,長尺を飽きることなく見せるマーティン・スコセッシの腕は確か.
日記:2007年3月某日(レンタルの都合で分割して見る羽目になった)
映画「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホームNo.2」を見る.
No.1に加え,アル・クーパー,マイク・ブルームフィールド,ピーター・ヤロー等.
後半にいたってこのドキュメントの狙いが明らかになってくる.
スコセッシは,ディランがロックに転向しての大ヒット「ライク・ア・ローリング・ストーン」に如何に到達し,世の中が如何にそれに追随できなかったかを描こうとしているかのようだ.
映画は前半60年代の音楽状況に多くのシーンを割いたのに対し,後半はその時代の政治状況を描写する.
暗殺直前のジョン・F・ケネディ,63年公民権運動のピーク・ワシントン大行進におけるキング牧師の「I have a Dream」演説,若々しいロバート・F・ケネディ(みんな殺されてしまった).
この行進にはもちろんボブ・ディランもジョーン・バエズもPP&Mも参加していた(何とあのチャールトン・ヘストンさえ参加していたのだ).
これらの状況を背景にしながら,ディランは1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで衝撃のロック・デビューを果たす.
アコースティック・ギターによるプロテストソングを期待して集まった聴衆に,ディランはすさまじい大音響のハードロック「ライク・ア・ローリング・ストーン」を浴びせかける.聴衆は困惑しやがて怒り出す.舞台の裏ではフォークの神様ピート・シガーが,斧でPA装置のケーブルを断ち切ろうとして取り押さえられた,と本人が語る.
演奏終了後の大ブーイングにうろたえたPP&Mのピーター・ヤローが「ボブは今アコースティック・ギターを取りに行っているんです!」と叫ぶのに湧き上がる歓声.現れたディランが一人で歌ったのが,名曲「It’s all over now,baby blue(全ては終わった,憂鬱なベイビー)」だったのは,何という皮肉だろうか.
それ以降のディランの演奏活動は,戦争と言っても良いほどのバッシングとの戦いだった.
「ライク・ア・ローリング・ストーン」をヒットさせた一員となった名ロック・ミュージシャン,アル・クーパーは,何が起こるか判らない日々に脅え,ダラスでのコンサートが迫った日にバンドを抜けてしまう.代わりにバックを勤めたミュージシャン達が後にザ・バンドとなり,スコセッシの名作「ラスト・ワルツ」でその解散コンサートを記録されることになる.
映画は66年のイギリス・ツアーまでを紹介して終わるが,その直後ディランはバイク事故を起こすことになる.映画は,ひたすら詩人でありミュージシャンであり続けようとしたディランをまっすぐに描き,その充実感に感動すること多し.
最後に近く,かってのパートナーであるジョーン・バエズが,ディランの曲を,彼の声色を真似ながらアコースティックで歌うシーンが印象的だった.
すぐれたドキュメント映画としても,60年代を描く一級の映像資料としても,一見の価値あり.
★★★★☆(★5個が満点)
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