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2007年4月に作成された記事

2007/04/28

独断的映画感想文:リトル・ランナー

日記:2007年は4月某日
映画「リトル・ランナー」を見る.
2004年.監督:マイケル・マッゴーワン.
アダム・ブッチャー,キャンベル・スコット,ゴードン・ピンセント,タマラ・ホープ,ジェニファー・ティリー.
1950年代のカナダ,ラルフ・ウォーカーはカトリック学校に通う中学生である.
父は大戦で戦死,母は末期ガンで入院中という状況で,ラルフは家財の売り食い生活でしのいでいる.ラルフは普通よりちょっとエッチで夢見がちな中学生,タバコは吸うし校則は破る.厳格な校長は彼を目の敵にしている.
ところがある日,彼の母親は昏睡状態に陥る.看護婦のアリスは,この昏睡から醒めるには奇跡が必要だという.
たまたま参加したクロスカントリークラブで,ボストンマラソンへの挑戦のことを聞いたラルフは,これに勝利することが「奇跡」の実現と信じ,猛然とマラソンの訓練に取り組む.
元マラソンランナーで無政府主義者(?)ヒバート神父の指導を受けボストンマラソンを目指すラルフだが,その結果や如何に?….というファンタジー的映画.
この映画のポイントの一つはリズムの良さだろう.
若いラルフが何かをしでかす,走る,母親の病室で神妙にしている,校長に怒られる,場面の切り替わりとラルフの行動のテンポが,軽快で心地よい.それに何と言っても走るラルフのシーンの繰り返しが,特に後半興奮を盛り上げクライマックスにつなげていく.
映画はとにかく細かいエピソードが次から次に起こり,あれよあれよという間にボストンマラソンのシーンになる.楽しくてちょっと切なくて,夢のようなエンディングという,あり得べき映画の姿が好ましい.
意外なところで意外な姿で登場する「神様」のラルフへの応援も,なかなか楽しい.
★★★☆(★5個が満点)
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2007/04/17

独断的映画感想文:怒りの葡萄

日記:2007年は4月某日
映画「怒りの葡萄」を見る.
1940年.監督:ジョン・フォード.
ヘンリー・フォンダ,ジェーン・ダーウェル,ジョン・キャラダイン.
ジョン・スタインベックの小説の映画化.
オクラホマの小作農ジョード家は,砂嵐の襲来による不作と,機械化によるトラクターの導入のため農地を追われ,一家を挙げて「蜜と乳の国」カリフォルニアを目指すことになる.殺人容疑で服役し仮釈放となったトム・ジョードは,牧師のケイシーと共に一家に合流する.
途中祖父と祖母を病気で失った一家はようやくカリフォルニアに着くが,彼らを待っていたのは職を求める農民と地元住民のいさかい,農場主の暴力と搾取だった.農民の組織化を試みたケイシーは襲撃され撲殺され,その犯人をトムは殺してしまう….
ジョン・フォードにオスカーをもたらし,ヘンリー・フォンダの評価を不動のものにしたこの社会派ドラマを,一度は見たいと思っていた.しかしいざ見始めるとその結末を見るのが辛い.
この原作を僕は高校生の時に読み,その悲劇的な結末に深い衝撃を受けたからだ.
しかし映画は原作ほどの悲劇的な結末は取らず,未来への希望を暗示して終わった.果たしてこれで良かったのかどうか,気持ちは揺れ動く.
映画はカリフォルニアの地元住民の,流入農民への排撃や,農場主らの暴力と陰謀・スト破りを使った搾取等を余すことなく描く一方で,連邦政府の農業施策を好意的に描くが,これはジョン・フォードのニュー・ディール政策支持の姿勢が鮮明だったかららしい.
だいたい,その監督の姿勢は今の視点から見れば,ほとんど左翼的と言っても良いくらいで,これにオスカーを捧げたハリウッドの姿勢も含め,冷戦前のアメリカのある点での自由さを感じさせる.
俳優ではやはりヘンリー・フォンダが良い.ただ,その押さえた演技が良すぎて(?),トム・ジョードがかっとなりやすくそのため人も殺してしまったという事実が,今ひとつ飲み込みにくい.
監督と共にオスカーを取った(助演女優賞),ジェーン・ダーウェルも素晴らしい.アメリカ中西部の肝っ玉母さんの面目躍如の演技である.
牧師をしくじって放浪者となり,最後は農民の組織者として殺されたケイシーを演じたジョン・キャラダインも好きである.その息子デヴィッド・キャラダインが後に「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」(1976)に主演し,同じように貧乏人の組織者を演じていたのを思い出す.
最後にもう一人の名優は,この一家を乗せて2000キロを旅したおんぼろトラック.名前はよく判らないが,このトラックの存在感,名演技(前輪が浮いてひっくり返りそうになったときのスリルはなかなかのものだった)を賞賛したい.
見て良かった映画.
しかしこの映画に描かれた人々はその後どうなったのだろう.食い詰めた農業労働者の群れは,また暴力と搾取で手を汚した農場主達は?
★★★★(★5個が満点)
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2007/04/14

独断的映画感想文:出口のない海

日記:2007年は4月某日
映画「出口のない海」を見る.
2006年.監督:佐々部清.
市川海老蔵,伊勢谷友介,上野樹里,塩谷瞬,柏原収史,伊崎充則,高橋和也,香川照之,古手川祐子.
特攻兵器回天に搭乗した野球青年並木浩二の物語.
回天は一人乗り潜行艇だが,むしろ魚雷に人間をくくりつけたものと言った方がよい.大平洋戦争末期,連合艦隊もほぼ全滅した海軍は,起死回生の特攻兵器として回天を開発し,若い志願兵に訓練を施す.
甲子園投手だった並木は海軍に入り回天乗り組みを志願する.厳しい訓練の後,潜水艦に4隻の回天を搭載して出撃,しかし破損や故障により出撃し戦果を上げたのは1隻のみだった….
戦争映画としては可もなく不可もないという印象.こういう映画を作ることの意義は認めたとしても,重く感銘的な題材を扱っている映画としては,失敗作と言えるかも知れない.
細かいことでは海老蔵の敬礼がなっていないということと,古手川祐子の髪が栗色フェミニンであったことが気になった.これでいっぺんに安物のTVドラマになってしまう.
根本的なことでは,回天という兵器の絶望的な愚かしさが,結局描けていないのではないかということ.
回天は一旦出撃したら,敵艦にうまく突っ込もうが途中で方角を失ってしまおうが故障して立ち往生しようが,決して生還することは出来ない.ハッチは外から閉められ中からは開けられない.
映画では4隻の回天のうち1隻のみが出撃しこれは敵輸送艦を撃沈したが,後の3隻は出撃できなかった.しかし実際には出撃しても敵艦まで到達することが出来ず,むなしく海の藻屑になった例が多かったらしい.
その程度の能力の艇でしかないのに,中からは開けられない構造にして兵員を投入したこの60年前の我が国の絶望的な愚かしさ.
戦争を描くというなら,このことがちゃんと言えなくってどうするのか.
日本の戦争映画は事実を直視するという要素が,足りないのではないだろうか.
俳優では伊勢谷友介に存在感があった.上野樹里はマドンナ的存在であるのに,残念ながらあまり魅力を感じられず.
★★☆(★5個が満点)
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2007/04/09

独断的映画感想文:カポーティ

日記:2007年は4月某日
映画「カポーティ」を見る.
2005年.監督:ベネット・ミラー.
フィリップ・シーモア・ホフマン.キャサリーン・キーナー,クリフトン・コリンズ・Jr.
ネタバレあります!!
「ティファニーで朝食を」の原作者,50年代の売れっ子作家トルーマン・カポーティが,カンザス州の一家4人殺しのドキュメントノベル「冷血」を書く過程を描いた伝記ドラマ.
1959年11月に発生したこの強盗殺人事件を知ったカポーティは,これを題材に小説を書こうと,親友のネルと共にカンザス州の現場に赴く.
やがて容疑者2人が逮捕されるに至り,カポーティはそのうちの一人ペリーと面接し,彼の不思議な魅力に惹かれ作品への意欲をかき立てられる.
小説のネタを得るため,地元警察の反感を顧みず彼らに弁護士を世話するカポーティ,彼はペリーから殺害当時の状況を直接聞き出すためにあらん限りの手段を尽くすが….
カポーティは当初ペリーの歓心を買うため弁護士を世話し,やがて殺人状況を聞き出すために彼をだまし,最後に死刑執行を見届けたいがために弁護士の紹介を拒絶する.ペリーを欺きその命をもてあそぶ2枚舌,しかも最後に死に直面するペリー本人に,会わずにはいられない.
そのゲイの本性とプロ作家の立場を揺れ動く心.「冷血」とは誰のことか.
映画はほとんどが人と人との対話場面からなり,間を重苦しい刑務所の全景がつなぐような単調な構成だが,その緊張度は高い.
カポーティを演ずるフィリップ・シーモアの演技は説得力のある重厚なものだ.見終わって改めて,カポーティに取り憑いた悪魔はどんなものだったかを考えさせる映画である.
★★★★(★5個が満点)
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独断的映画感想文:DEATH NOTE デスノート(前・後編)

日記:2007年は4月某日
映画「DEATH NOTE デスノート 前編」を見る.
2006年.監督:金子修介.藤原竜也,松山ケンイチ,瀬戸朝香,香椎由宇,戸田恵梨香.
そのノートに名前を書かれるだけで,記述されたとおりに死ぬというデス・ノート.死に神の落としたそのデス・ノートを拾ったのは,警視庁の捜査官を父に持つ秀才夜神月(やがみ・らいと).
彼はその日から罰を逃れたり法の網をすり抜ける犯罪者を処刑していく.
世間は彼を「キラ」と呼び,キラをあがめ崇拝するもの,反感を持ち怖れるものとが論争を繰り広げる状況となる.キラを追うインターポールは天才捜査官Lを日本に派遣し,キラのあぶり出しにかかる.
Lはすぐにキラをまじめな学生で捜査陣の周辺にいる人物と割り出す.Lの仕掛けた罠はキラを捕らえることが出来るか?
藤原竜也と松山ケンイチのキャラクターのぶつかり合いが全て.特に松山ケンイチは見ているだけで飽きない.
正義漢夜神月が,デス・ノートを拾っただけでこれほどの無差別殺人を容赦なく行うようになるというのには,かなりの違和感があるし,夜神月の警視庁データベースへのハッキングを,Lが全く気がつかないというのもおかしいと思うが,まあそんなことはどうでも宜しい.二人の勝負の行方や如何に.★★★☆(★5個が満点)
映画「DEATH NOTE デスノート the Last name」を見る.2006年.監督:金子修介.藤原竜也,松山ケンイチ,戸田恵梨香,鹿賀丈史,津川雅彦,片瀬那奈,上原さくら,藤村俊二.
デスノートを手中にしたキラの犯罪者処刑に世論は賛否に割れる.そこに死に神に命を助けられた海砂-キラ2による犯罪者の処刑が始まり,社会はいっそうのパニックに陥る.
桜TVはキラ2の脅迫を視聴率稼ぎに悪用,警官を含めたキラ2による処刑をライブ中継したため社会は更なる混乱へ.
キラ2はキラ-夜神月に恋心を抱き,キラにそのデスノートを差し出す.一方夜神月をキラと疑うLは,分析により海砂をキラ2と割り出し拘束,夜神月とLとの知力を傾けた死闘が始まる….
漫画の映画化だがそこそこ面白い.
面白いポイントは前編同様,藤原竜也と松山ケンイチのぶつかり合いにつきる.それ以外はすべてその他大勢という感じ.
のべつ幕なしに甘味を食べ続ける松山ケンイチには胸が悪くなるが,命をかけた知恵と知恵の戦いは見応えあり.そのほかの脇役陣はこれに比べ少々弱すぎる.しっかりしていたのは加賀丈史くらいか.
最後のシーン,思いがけず地元のスズラン商店街が舞台となったのに免じ,★★★(★5個が満点)
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2007/04/05

独断的映画感想文:モンスター

日記:2007年は4月某日
映画「モンスター」を見る.
2003年.監督:パティ・ジェンキンス.
シャーリーズ・セロン,クリスティーナ・リッチ,ブルース・ダーン.
ヒッチハイクをしながらの売春で生活しているアイリーン(リー).その生活にも疲れ果て,最後の5ドルでビールを飲んで自殺しようと飛び込んだ酒場で,セルビーと出会う.
レズビアンの彼女は,生活立て直しのために父親の友人宅に預けられていた.飲んで意気投合し,翌日スケートリンクで待ち合わせる二人.すぐに激しい恋に落ち,二人は共に遠いところに立とうと約束をする.その資金を得るために,アイリーンはその夜再び道路際に立つのだが….
娼婦による連続殺人という実話に基づくドラマ.
シャーリーズ・セロンは13キロの体重増と特殊メイク,実在のリーの人となりのリアルな描写で,この殺人犯を見事に演じきる.一方,セルビーを演じたクリスティーナ・リッチの演技も素晴らしい.二人とも何とも見応えのある演技である.
自分と心の通い合うセルビーを見いだし恋に昂揚するリー,ティーンの昔に帰ったかのように夢を語り,足を洗って金を稼ぐとセルビーに約束するシーンの哀れさが胸を打つ.
その恋の昂揚が彼女を更にモンスターの道へと追いやると同時に,やがてモンスターであること自体に耐えきれなくなる彼女を壊していくのだ.
リーの生い立ちは殆ど描写されないが,シャーリーズ・セロンの演技を見れば,彼女がどういう袋小路にいるかは自ずと判る.
もう一つ際だつのは,そのリーに対するセルビーの振る舞いである.特に最終局面,法廷での二人のシーンには息を呑む.心に残る映画である.しかし見て楽しい映画ではない.
★★★★(★5個が満点)
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独断的映画感想文:ブロークン・フラワーズ

日記:2007年は3月某日
映画「ブロークン・フラワーズ」を見る.
2005年.監督:ジム・ジャームッシュ.
ビル・マーレイ,ジェフリー・ライト,シャロン・ストーン,フランセス・コンロイ,ジェシカ・ラング,ティルダ・ウィンストン.
賑やかにこども達が遊んでいる住宅に郵便配達夫が通りかかる.配達夫がてくてく歩いてその隣の家に郵便物を放り込むが,こちらは豪華だが打って変わって静まりかえった家だ.
その家の豪華な部屋のソファに座っている無表情な男,ドン・ジョンストン.折しも彼のパートナー・シェリーが荷物をまとめて出て行くところだ.
引き留めるでもなく見送るジョン,郵便物に気付いて拾い上げるとピンクの封筒がまじっている.差出人のないその手紙は,20年前に別れた恋人からの19歳の息子がいると告げた手紙だった.
そのことを聞きつけた隣人のウィンストンは,彼の20年前の恋人をリストアップさせると,何とその4人の元カノの家と1人の故人のお墓を巡る航空チケット,レンタ・カー,モーテル等をセットしたツアーを組み,おまけに地図とエチオピア音楽のCDまでつけ,渋るドンを送り出す.こうして始まるロード・ムービー.
古い友人を訪ねるという点では「舞踏会の手帳」を思い出す(古過ぎか?1937年.監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ)し,おじさんのロード・ムービーとしては「アバウト・シュミット」を思い出す.
ところで最初に訪れたローラは,夫を既に亡くし彼を歓迎してくれる.朝は彼女のベッドで迎えたという訳で,ローラは該当者ではないらしいが幸先は良い.ところがその次のドーラからは少し雲行きが怪しくなり,カルメンには冷たく追い出され,最後のペニーに至っては….
殆ど無表情のビル・マーレイが味わう,人生黄昏の切なさ.女には突き放され,街で見かける青年は皆自分の息子ではないかしらと呆然とたたずむ終局が哀れである.
「アバウト・シュミット」と似ているのは,どちらの主人公も事ここに至っても自分への反省がほとんど無いということではないかしら.こういう風には成りたくないという状況を見せつけられるという点で,考えさせられる映画である.
しかしこの無表情の認知症か鬱病のなりかけではないかと思われるドンが,かってはプレイボーイだったなんて,にわかには信じ難いことである.一体どういう顔で女を口説いていたのか.
好き嫌いから言うと,あまり好きになれなかった映画.でも映画らしい映画.
★★★☆(★5個が満点)
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