独断的映画感想文:ファイナル・カット
日記:2007年9月某日
映画「ファイナル・カット」を見る.
2004年.監督:オマー・ナイーム.
ロビン・ウィリアムス,ミラ・ソルヴィノ,ジム・カヴィーゼル.
一人ビー玉で遊んでいる男の子ルイス.同年齢と見える子アランが現れ,二人は遊び始める.
やがて二人は廃棄された工場へ入り込む.ここで遊ぶと叱られるというルイス,しかしアランは工場の深い竪穴の上に渡された板を渡ってみせる.
ルイスに「来いよ」と呼びかけるアラン,ルイスは恐る恐る板を渡り始め,途中で恐怖に駆られジャンプし穴の縁に掴まるが,そのまま力尽きて落ちてしまう.
アランは穴の底に降りてみるが,ルイスは血の海に横たわり動かない.そのまま現場を立ち去るアラン,旅行中の両親と共にその街を去り,二度と戻ってくることはなかった….
このような記憶を持つアラン・ハックマンはゾーイ・チップの編集者だ.
ゾーイ・チップとは,胎児の時に脳に埋め込まれ,そのまま人の一生の映像と音声を記録し続けるチップのことである.その人の死後チップは取り出され追悼上映会が行われるが,その追悼用の資料を編集するのが,ゾーイチップ編集者の仕事である.
追悼上映会については,故人の真の姿を覆い隠す偽善だとして反対者も多い.実際アランも,チップに記録されている故人の不道徳な行いや秘密の行為をカットし,遺族の望む美しい思い出のみをつないでいくのだ.
ところがある故人の編集を引き受けたところ,その故人の社会的悪行を暴こうというグループから,チップの提供を執拗に迫られる.そのチップの編集中,アランはあの少年ルイスが成長したとしか思えない人物を見いだし,動揺する….
このSF映画はこういう仕掛けなのだが,映画としてはこの仕掛けが実は全てで,そこからどういうドラマが展開するかというと殆ど話が拡がらない.
この映画の致命的欠点は,仕掛けがもろSFなのに,ドラマが全くSF的ではないという点だ.
冒頭の少年時代の記憶のエピソードも,結局記録と記憶は食い違うという只それだけのことで終わる.
そもそもこういうチップがあれば,その使い道を巡っていくらでも話はSF的に組み立てられそうだが,追悼上映会を開くほかには何もないようでがっかりする.
エンディングも中途半端,もう終わっちゃうのかと思ってしまいました.ロビン・ウィリアムズはちゃんとやっているんですがね.
残念ながら★★☆.監督にはもう少しがんばれ!!と言いたい.
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