独断的映画感想文:ばかのハコ船
日記:2008年1月某日
映画「ばかのハコ船」を見る.
2002年.監督:山下淳弘.
山本浩司,小寺智子,山本剛史,細江祐子,木野花,笹野高史.
アーケード街の入り口で声を張り上げ健康飲料「あかじる」を売っている男女二人.さっぱり売れないらしく,次のシーンでは船に乗って海を渡り列車に乗り,人っ子一人いない駅に降り立つ.
駅から真っ直ぐ見渡す限りの畑の中を延びる道.そこをとぼとぼと二人は歩いていく.
酒井大輔と恋人島田久子は,「あかじる」販売で500万の借金をこさえ,実家に舞い戻ったが懲りずに「あかじる」で一旗揚げようと企む.父親始め同級生,親戚のつてを辿って売り込みを図るが,誰一人協力しようとはしない.
父親はまず借金を返せと就職を世話するが大輔は拒絶する.
売り込みがはかばかしく行かないまま,二人は実家でだらけた生活を送るようになり,大輔は風俗嬢の元カノの店に行く….
「リアリズムの宿」の山下監督が,その前年に同じ山本浩司を主演に撮った作品.
全身から力の抜けるコメディだが,「リアリズムの宿」よりは少し見るのが辛かった.
それは,大輔と久子(島田久子と言うが本当は嶋田久作じゃないのか,という気がする.小寺智子さんご免なさい)の追う夢が夢とも言えない妄想に近いものであることや,その夢の実現力がまるで無いままだらけて生活を送っていくことや,果ては大輔が下心丸出しできょろきょろと女を見る目や,それらのもろもろが自分が若いときの浅はかな行動をまざまざと思い出させるからである.
彼らの「夢」は何と置き換えても良いのだ,起業,理想の実現,女をものにすること,革命.
この情けない貧相な男は若いときの自分だ.そう思わされスクリーンと距離を置くことができない.
おまけに終盤,最後の力を振り絞って店頭販売に立ち,半日笑顔を振りまき声張り上げてしかも全く「あかじる」が売れないで,笑顔のまま突然久子が泣き出してしまうとき,痛々しくてコメディどころではなくなるのだ.
ところが最後のシーン,あっと驚く姿かたちで大輔と嶋田久作いや久子がスクリーンの向こうからこちらを見ている.このラストシーンには腰を抜かす(かも知れない).
馬鹿を超えるとはこういうことか.
★★★☆(★5個が満点)
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コメント
こんにちは。『バベル』にコメントTBありがとうございました。
こちらにコメント失礼します。
これ、気になっていた映画でした。
自分はもしかしたらこの監督さんのテイストの、脱力感を催させるコメディ感触が、どうも好きになれないのかなあ、と思うのですが、
一方で、ほんやら堂さんのおっしゃるような、
>この情けない貧相な男は若いときの自分だ.そう思わされスクリーンと距離を置くことができない.
こういう感覚というものを表現するのが上手な方のように思えるのですよね。
投稿: とらねこ | 2008/03/02 11:45
とらねこさん,いらっしゃいませ.
山下監督は「リアリズムの宿」の様なとほほ映画も好きですし,「天然コケッコー」のようなほのぼの映画も好きです.
ただしこの映画は少しイタかった,というのが正直なところです.
ではまた
投稿: ほんやら堂 | 2008/03/04 23:31