独断的著作感想文:マイ・バック・ページ
日記:2011年6月某日
川本三郎の著作「マイ・バック・ページ」を読了.
本書は著者の自伝的エッセイ.雑誌への連載をまとめたものだが,後書きを読むと映画化した時の主題である菊井(映画では梅山)の事件は当初書きたくなかったらしい.
しかし書かねばおかしいという編集者の薦めもあって,これが本の後半の山場となった.
著者は学生運動の経験はないが,60年代後半から70年代にかけての東京(自宅は阿佐ヶ谷,隣のアパートに,麿赤児さんが住んでいたそうな)のカルチャー,社会状況にどっぷりつかったその生活が,読み取れる.
漫画家永島慎二の拠点だった阿佐ヶ谷の「ポエム」も行きつけだったらしい.
フランツ・ファノンの引用や,全共闘の自己否定思想の説明など,如何にもこの時代を真っ正直に生きた東京のナイーブな青年の心情が初々しい.
関西で青年期を過ごすと,自己否定思想など「そんなの関係ねえ」と言いたくなるのだが,いかんかなあ.
映画では菊井を京大経済学部助手竹本(筆名滝田修)に紹介したのはまさに川本さんという感じで描かれていたが,実際は川本さんが紹介する前に菊井の名前は滝田に伝わっていたらしい.
どうも僕としては,個人的には菊井を「こういう奴の心情も理解は出来る」という風には見たくない気持ちがあるが,菊井という固有名詞を外して一般論でいえば,「こういう人間もいるだろうな」というところである.
いずれにしろ,この時代,菊井の様な奴も川本さんの様な奴もいっぱいいたし,僕自身もそのバリエーションの内の一つだったのは間違いない.興味深く読んだ.
ところで,菊井の事件に関しては,個人的な記憶が甦る.
菊井のでたらめな自供をきっかけに,警察に1972年1月にでっち上げ指名手配を受けた京大助手竹本は,警察の追及を逃れ潜行した.
この1年後,経済学部教官協議会は「出勤しない」竹本助手の分限免職処分を京都大学評議会に上申,処分手続きが進行し始めた.
これ以来学内世論は,官僚的に「出勤しない」竹本助手を自動的に切って捨てるか(日本共産党は,こちらを支持した),竹本助手の思想故に仕掛けられたでっち上げ指名手配に対する抵抗を認め処分を阻止するか,真っ二つに割れて激しい論争が繰り広げられた.
当時,日本共産党は敵対する学生の実名を警察に通告する「告訴告発戦術」をとっており,その結果,学内や学生寮のいたるところに連日警察の強制捜査が入るという異常事態となったが,大学当局と日本共産党はかえって支持を失い,共産党系の学生自治会執行部は法学部を除きことごとく罷免される結果となった.
この状況を受け,1974年3月に京都大学評議会は竹本助手の処分審議を凍結することとなった.これが第1次竹本処分闘争である.
この間,時計台には京大山岳部が描いた「竹本処分粉砕」の銀色の文字が輝き,今も京大時計台といえばその光景が頭に甦る.川本さんの菊井との関わりは,僕にとってはこういう状況となって波及したのだと,この本を読んで思ったことだった.
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