独断的映画感想文:黒の牛
日記:2026年2月某日
映画「黒の牛」を見る.
2024年.日本,台湾,アメリカ.
監督:蔦哲一朗.出演:リー・カンション(狩猟民の男),ふくよ(牛)(黒い牛),田中泯(禅僧),須森隆文,ケイタケイ.
映画の冒頭は山火事,狩猟民の男は焼け出され丸裸の状態で意識を取り戻す.里に下りるという一族と別れ放浪していた男はその冬,里の外れに住む老女に拾われ里の暮らしのしかたを教わる.春が来て老女の田に無事に水を入れた後,老女は息を引き取った.
その後男は山野を放浪する中,行倒れた人とそのそばにたたずむ黒い牛を見つける.逃げる牛を力づくで里の家に連れ帰った男,餌を与えて牛小屋に入れるが,翌朝牛は姿を消していた.大声で叫び牛を探し求める男,翌日探しあぐねて家に戻ると,牛は牛舎に戻っていた.
その後立ち寄った禅僧の指導で,牛を使った荒起こしや代掻きを学んだ男は,老女から受け継いだ田を耕し,また牛を連れて里の人の田を耕しに行ったり,禅僧の斡旋で牛を牛飼いに貸して銭を得たりして,生活は落ち着くかと思えた….
禅に伝わる悟りまでの道程を十枚の牛の絵で表した『十牛図』にインスパイアされた映画.主人公の男には台詞はなく,男の自然との付き合いや牛との格闘が映像で描かれる,映像詩と言って良い映画だ.映画は『十牛図』の各図にのっとった形で物語を進めてゆく.
『十牛図』として1.尋牛(じんぎゅう)牛を探す(本当の自分を探し始める),2.見跡(けんせき): 牛の足跡を見つける(教典や師の教えでヒントを得る),3.見牛(けんぎゅう): 牛の姿を見る(真の自己(悟り)の入り口を垣間見る),4.得牛(とくぎゅう): 牛を捕まえる(悟りを体得するが、まだ自分のものになっていない),5.牧牛(ぼくぎゅう): 牛を飼いならす(執着をなくし、修行を続ける),6.騎牛帰家(きぎゅうか): 牛に乗って家へ帰る(悟りを得て心安らかな状態),7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん): 牛を忘れる(悟りも手放し、素の自分になる),8.人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう): 人も忘れる(絶対的な無、執着がない状態),9.返本還源(へんぽんげんげん): もとに還る=あるがままの自然な世界,が各章のテーマとして掲示されるが,もとより映画は禅の教えを講じるものではない.映画はあくまでテーマに沿った男と黒牛の物語を語って行く.
牛はなかなかの働き者で,男も惜しみなく働き牛の世話をする.牛と男の関係は互いに信頼し気を許した者同士のそれに見える.ところがこの関係は突然破綻する.これ以降はネタバレなのだが,翌年の祭りの時期にまた牛飼いに牛を貸し出したところ,ある日牛飼いがやって来て黒牛は死んだと云う.その証拠として牛飼いは牛の鼻輪を男に渡し,わずかの見舞金を払って去って行った.男はその後一人で暮らし死ぬ.映画は人間のいなくなった集落と,牛の群れがさ迷う海岸の情景をえがいて終って行く.
いろいろなことを考えさせる映画であった.現世的にはこれで一安心と思える,暮らしが軌道に乗った時は「悟りを得て心安らかな状態」ではあるが,まだこの後にその状態自体を手放し,あるがままの自然な世界に戻る過程があるのだ.映画はそのあるがままな世界にはもう人間は不在であると言っているようでもある.
主演のリー・カンションと黒牛=ふくよの演技が素晴らしい.黒白の画面(最後の滅びの場面ではカラー・70ミリ)は墨絵の様で,訴える力に満ちている.台詞はほとんどない映画だが,自然音を含めた録音の効果も圧倒的.冒頭とエンドロールを彩る坂本龍一の音楽も素晴らしい.時のたつのを忘れてこの映画に見入った.
監督の蔦哲一朗は,生まれ故郷の徳島県三好市池田町に関わる作品を撮り続ける.祖父は池田高校野球部監督・蔦文也.ところで映画に出てくるのは十牛図のうち第九図までの様だが,実はエンドロールの最後に10.入鄽垂手(にってんすいしゅ): 町に現れ手を垂れる=慈悲の心で人々を救済する,が登場する.そのコメント(この映画としてのコメント)がまた傑作.
★★★★(★5個が満点).
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